
私の名前は川上一郎です。
1943年(昭和18年)に京城(今のソウル)で生まれ、終戦前に日本に引き揚げてきました。小学校は島根県の八束郡揖屋町(現在の松江市)の揖屋小学校を卒業し、中学校は島根県の大田中学校を卒業しました。高校は松江市の県立松江工業高校の電気科に入学しましたが、二年生の時県立大田高校へ一年下がり転校、昭和37年に同校を卒業。高校二年生の時、国語の時間で得意な朗読で声が震え、以来ひどいあがり症になっていきました。
高校卒業後は、東京渋谷の桑沢デザイン研究所(専門学校)へ入学するも、あがり症のため発表の失敗で自己嫌悪に陥り退学。以後、フリーター生活。27歳で会社員となり31歳の時に汚水処理工事業を自営、以後25年運営する。
その後、2001年(平成13年)あがり症で苦しんだ私の体験をもとに、同じ苦しみの人の役に立ちたいというかねてからの目標であった話し方教室を開設、現在に至る。
2017年(平成29年)に高齢者運転免許更新で認知機能検査を受ける。そのとき高校生のとき記憶力で遊んでいたのを思い出し、認知機能検査で出題されるイラストを簡単に覚える方法を本にしようと決意。自分で運営しているSEIWA話し方教室で出版、販売を行う。

● 経済的困難からの決別
終戦で日本に引き揚げてきてからは、父はそれまでの大きな新聞社から島根県の地方新聞社の記者になり7人家族の生活を支えた。しがって私は3歳ごろから長い貧乏生活を続けてきました。
私の青年時代は今でいうフリーター生活が長かったので、当然金銭的には苦しく、厚生年金や国民年金に加入することもなく、27歳で結婚してから会社員になりました。31歳で自営。
25年間自営業を続けましたが、豊かさを感じることはあまりなかったのですが、お金はまあまあ動かしてはいました。しかし閉鎖するときにはそれまでの銀行からの借入金の返済が数百万円になっていました。
その後、宅配の仕事をしましたが発注元の運輸会社が閉鎖、それを機に58歳の時かねてからの念願であった話し方教室を始めました。経済的にはもっとも苦しく新聞配達を3年間しながら教室を維持。
話し方教室では生活に必要な程度の収入は確保できましたが、豊かさを目指し、教室を続けながらAmazonに店舗を出店、月商100万円を超えるにいたったが、仕入れをリボ払いに頼っていたため結果的に300万円ばかりの負債が生じました。
2018年(平成30年)「高齢者講習 認知機能検査 高得点対策」を出版・販売。2021年には月収100万円を達成。この本は、60年以上も前の頃の知識をフト思い出し制作しました。
この「フト思いつく」という現象の中に、人生をいい方向へ導くか、悪い方向へ導くかの重要な鍵があり、繁栄や富、限りなき供給へ到る道があると知ったのです。「フト思いつく」のは、今までの自分の生き方、考え方で内容が決まってきます。