人生を豊かに生きようと思う者は、決して奪うという行為をしてはなりません。
奪うという行為は、豊かさを阻害する最大の要因です。お金や富は、世の中へ価値あるものを提供した結果、その対価として与えられるものです。ということは、価値のないものどころか人の持つ価値を奪えば、その報酬として自分の持っている価値を失っていくということになります。
多くの人は、目先の欲しいものを手にすれば得をしたと思いますが、この世界に厳然と働いている「原因と結果の法則」を知らねばなりません。
私も若いころ、月賦で購入した商品の代金を途中まで支払って、あとは支払わなかったりしたことが数度あります。これははっきりとした犯罪であり、奪うという行為です。こうしたいい加減な生き方の結果、私は永きにわたって経済的に苦労する人生を歩んできました。
奪ったもので、自分の人生が豊かになり、得をするなどということは決してありません。
「奪う者は奪われる」という法則は、いかなる場合でも公平に働いています。
私も商品を売っていますが、なかにはどんなに督促状を送っても支払わない人がいます。二千円もしない商品なのに。こうした生き方をしていますと、その人には今以上に困難が訪れ、困ったときに助けてくれる人も現れません。
そうした人は、穏やかで豊かな人生を生きるための真理を何一つ理解していません。そしてその卑屈さゆえ、より深刻な貧しい生活を自分自身に引き寄せているのです。
でもとても正直そうな人で貧乏な人がいますし、またとても強欲で不正直そうな人で大金持ちがいます。「あの人は正直すぎるからお金が貯まらないんだ」「あの人はずる賢いからお金を貯めているんだよ」などと言います。
しかし、その人の真価は簡単にはわかりません。まじめで正直そうでも、内面では人への裁きや、愚痴といった不徳をいっぱい抱えているのかも知れませんし、不道徳と思われている人でも、他の人にはない美徳を持っているかも知れません。
環境は心という自分の意識に合わせて形づくられます。大切なのは、自分の良心に従って自分の行為を選択すべきです。それが人生を豊かに発展させる練習であり自分磨きです。
過去に奪ったことがある人は(知らず知らずに奪うということは誰にでもあることですが)、それを穴埋めするつもりで人や社会へ与えるという行為(積善)を行えば過去の償いになります。
フランスの格言
【自分自身の中に安らぎを見いだせない者は、どこへ行っても安寧を見出すことはできない】
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