お金への悪口

自分が心から求めるものは、そのものに対する愛着があります。そのものが好きだからこそ一心に求めます。私たちはお金を心から求めているのに、なぜかお金に対しては「お金はきたない」とか「守銭奴」とか悪口を言ったりします。

お金を嫌う感情を持っている人には、お金は寄り付きません。自分の心が非難しているものはそのものを否定していることに他なりません。

ジョセフ・マーフィーは「お金は、あなたを欠乏から自由にし、美と贅沢と豊富と洗練をもたらすものである」と言っています。こんな価値がある素晴らしいものを嫌うなどもっての外ですね。

私たちの生活にお金が充分にまわっているとき、私たちの生活は落ち着き、経済的に健康です。お金に悪口や不足を言うのは、自分の生活に充分にお金がまわっていないときです。多くの人が経済的に不健康で欠乏している理由の一つは、お金に対して不足や悪口を言っているからだとジョセフ・マーフィーは言っています。

成功するには、希望と明るさは不可欠です。悪口や不足不満の心は成功への大きな妨げということになります。

お金は貨幣として価値の代わりを果たしているだけです。貨幣ではなく本物の金や銀が使われていたらどうでしょうか?「金や銀はきたない。悪だ」と言いますか?金や銀が悪いものであるはずがないではありませんか。

私たちがお金への不足や悪口を言ったり、思ったりするのは、お金そのものに対してではなく、不足を引き起こしている状態に対してです。

また「お金、お金」といってお金のことばかりに心を奪われているのは美しいとは言えませんね。そういう人を見たときにお金に嫌悪感を感じたりします。私たちが求めている本質はお金そのものではなく、私たちが経済的に健康な生活ができる手段です。つまりお金そのものではなく、お金のはたらきを求めているのです。

欲しいのはお金ではなく、欠乏から自由にし、美と贅沢と豊富と洗練をもたらすお金のはたらきなのです。お金は悪いものでも穢いものでもありません。お金のもたらすはたらきをよく理解しましょう。

ジェームス・アレンの言葉

心の中でくり返しめぐらされている思いは、それが良いものでも悪いものでも、その内容に応じた結果を、確実に発生させているのです。私たちが思うことは、私たちの行い、私たちが手にするあらゆる体験の源です。

悪意、皮肉、疑い、羨望などで心を満たしつづけているとき、人間は、みずから創りあげた牢獄のなかに、みずからを閉じ込めているようなものです。

ロイ・E・デーヴィスの言葉

あなたの心の中に主流をなす想念は、睡眠中にも働き続けて徐々にではあるが着実に、あなたの人生のあり方を形造るのである。

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